下御霊神社
(しもごりょうじんじゃ)

 下御霊神社は平安時代に都に流行した疫病発生原因の怨霊を鎮めるために創建された神社で、今も病気平癒の信仰を集めています。

 下御霊神社にお祀りされている御霊八所神は御所をお守りする役目の神様です。

 下御霊神社には「御香水」と呼ばれる名水が湧き出ており、やわらかくておいしい水と評判です。枯渇していた井戸を深く掘って1992年に復活してもので、ペットボトルなどを持って汲みに来る人が絶えません。

 下御霊神社は数度の移転を重ねた後に豊臣秀吉の都市改造により現在の位置に移転したもので、最初は上御霊神社の南にあったので下御霊神社と名付けられたようです。

下御霊神社の場所
  京都市中京区寺町丸太町下る信富町324
下御霊神社への公共交通機関
 市バス「河原町丸太町」下車、徒歩約5分
下御霊神社のご利益 病気平癒
下御霊神社の参拝 境内参拝、拝観自由
下御霊神社の参拝時間 午前6時~午後8時

下御霊神社の由緒

下御霊神社
しもごりょうじんじゃ

 平安初期の貞観(じょうがん)五年(八六三)に神泉苑(しんせんえん)で行われた御霊会(ごりょうえ)で祀(まつ)られた崇道(すどう)天皇(早良(さわら)親王)、伊予親王、藤原吉子(ふじわらのきっし)、藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)、橘逸勢(たちばなのはやなり)、文屋宮田麻呂(ぶんやのみやたまろ)の六座に、吉備聖霊(きびのしょうりょう)と火雷天神(からいのてんじん)を加えた八座、即ち八所御霊(はっしょごりょう)を出雲路(いずもじ・上京区)の地に奉祀(ほうし)したのが始まりである。
 いずれも無実の罪などにより非業の死を遂げた人物で疫病流行や天変地異はこの怨霊(おんりょう)によるものと考えられ、それを鎮めるために御霊が祀られた。
 当初、御霊(ごりょう)神社(上御霊神社)の南にあったことから下御霊神社と呼ばれるようになったといわれ、以後、社地を転々とし、天正十八年(一五九〇)に豊臣秀吉の命により当地に移転した。古来より、京都御所の産土神(うぶすながみ)として崇敬され、享保(きょうほう)年間(一七一六~一七三六)に霊元(れいげん)天皇が当社に行幸し、宸筆(しんぴつ)の祈願文を納めている。
 本殿は、寛政三年(一七九一)に仮皇居の内侍所(ないしどころ)を移建したもので、表門は、旧建礼門を移したものといわれている。
 境内の垂加(すいか)社には、江戸時代の神道家、山崎闇斎(やまざきあんさい)を祀(まつ)っている。 京都市
上の文は下御霊神社の鳥居の横に掲示してある京都市の駒札説明板の文を再録しています。

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