一乗寺下り松
(いちじょうじさがりまつ)

 宮本武蔵と吉岡一門の決闘の場には松の木と「宮本吉岡決闘之地」の石碑が立っています。
 今の松は4代目で、初代の松の古株は八大神社で見られます。

 宮本武蔵の一乗寺での決闘の場面は平成15年(2003年)のNHKの大河ドラマ「武蔵」に登場しました。
 吉川英治の名作「宮本武蔵」や内田吐夢監督の東映映画「一乗寺の決闘」などにも取り上げられる等、歴史に残る決闘です。

 江戸初期の剣豪の宮本武蔵(みやもとむさし)は約60年の生涯を通じて自らあみだした剣術の二刀流と新しい兵法の実践を全うしました。

 宮本武蔵が著した兵法書の「五輪書」には二天一流いわゆる二刀流の技術がわかりやすく解説されており、地、水、火、風、空の密教の五輪で構成されています。

 一乗寺で吉岡清十郎一統との決闘で勝ちましたが、小倉での佐々木小次郎との戦いもよく知られています。他にも数々の試合で一度も負けませんでした。

一乗寺下り松へのバスと電車
●市バス「一乗寺下り松町」下車、東へ徒歩約5分
●叡山電鉄「一乗寺」下車、東へ徒歩
   (八大神社一の鳥居の南側)

一乗寺下り松の由緒

一乗寺下り松
(いちじょうじさがりまつ)

 平安中期から中世にかけこの辺りに一乗寺という天台宗の寺があった。
 天元四年(九八一)山門衆徒と寺門衆徒の対立の中、寺門派の僧、穆算(しゅうさん)が難を逃れて当寺に住んだことや、永延二年(九八八)円融法王が一夜を宿したことなどで知られるが、南北朝の動乱以後に衰えて廃絶した。この寺が地名の由来である。
 またここにあった松の下で、江戸初期の剣客、宮本武蔵が吉岡一門数十人と決闘したという伝説が残されており、ここから東にある八大(はちだい)神社には、当時の松の古株が保存されている。
 「下り松」と呼ばれ、古くから旅人の目印として植え継がれてきたこの松の樹は、現在四代目にあたるといい、傍らの記念碑は、大正十年に建立されたものである。 京都市
上は一乗寺下り松の横に掲げられていた京都市の古い駒札(下の写真)を書き写しています。