新熊野神社
(いまくまのじんじゃ)

 京都三熊野の一つです。京都三熊野はこの新熊野神社と哲学の路南端の熊野若王子神社と東大路丸太町の熊野神社です。

  八咫烏(やたがらす)は熊野の神様のお使いとして神武天皇様に道案内をしてさしあげたということです。
 また太陽の象徴ともされています。

 左の絵馬はこの八咫烏が描かれ、右の絵馬は梛と烏が描かれています。梛(なぎ)は「災難をなぎたおす」木とされ、「梛に烏」が新熊野神社の社紋にもなっています。

 八咫烏は三本の足が描かれており、一般の烏との区別がつけられます。

新熊野神社の主祭神
 
熊野牟須美大神(伊弉冉尊(いざなみのみこと))
新熊野神社の御神徳
 
特に安産の神様として信仰を集めています。 芸能上達、病魔退散など
新熊野神社の場所
 
京都市東山区今熊野椥ノ森町42
新熊野神社への電車とバス
●東大路を走る市バス「今熊野」下車、徒歩約2分
●JR奈良線「東福寺」下車、徒歩約12分
●京阪電車「東福寺」下車、徒歩約12分

新熊野神社の由緒

新熊野神社
(いまくまのじんじゃ)

 熊野信仰が盛んであった平安後期の永暦(えいりゃく)元年(一一六〇)、後白河上皇が紀州(現在の和歌山県)熊野の神をこの地にあった仙洞御所法住寺殿(せんどうごしょほうじょうじどの)の内に勧請(かんしょう)して、当社を創建した。上皇の命を受けた平清盛は、熊野の土砂や材木を用いて社域や社殿を築き、那智の浜の青白の小石を敷いて霊地熊野を再現したとされる。
 皇室の尊崇が厚く、社域は広壮、社殿は荘厳を極めたが、応仁の乱で荒廃し、現本殿(市指定有形文化財)は寛文十三年(一六七三)に聖護院の道寛親王により再建されたものである。
 境内の樟(くす)の木は、熊野から移植した後白河上皇お手植えの神木といわれ、健康長寿、特に腹を守護する神、また、安産の守り神として信仰されている。
 足利義満が初めて観阿弥・世阿弥父子の能を見た場所としても知られている。
              京 都 市
上の文は新熊野神社境内に掲げてある京都市の熊札由緒書(下の写真)を再録しています。