宮道神社(みやじじんじゃ)

 この神社が勧修寺の起こりとなったと伝えられています。

 主祭神には日本武尊(やまとたけるのみこと)、稚武王(わかたけるのおおきみ)がお祀りされています。

 合祀されている平安前期の公家、藤原高藤(ふじわらのたかふじ)や宮道列子(みやじのたまこ)は今昔物語の「たまのこし」物語の主役に登場します。この由縁から宮道神社は縁結びの御利益がいただけるようです。
(注:藤原高藤(承和5年(838)~昌泰3年(900))、宮道列子(生年不詳~延喜7年(907))

 宮道神社境内の三條右大臣と勧修寺住職の歌碑は、宮道列子没後1100年と、紫式部の母方の祖母が宮道氏の出身であることから、源氏物語千年紀を記念して宮道神社崇敬会が平成19年10月に建立したものです。

宮道神社の鎮座地
 京都市山科区勧修寺仁王堂町(勧修寺の南隣)
宮道神社への公共交通機関
 地下鉄東西線「小野」下車、西へ徒歩約10分

宮道神社の由緒

由緒碑

 当社は、宇治郡を本拠とした氏族宮道氏の祖神日本武尊、その子稚武王を祭神として、寛平十年(八九八年)に創祀された。宮道大明神・二所大明神とも称されている。
 平安時代初期、宇治郡司宮道弥益は、醍醐天皇の生母藤原胤子の祖父で、その邸を寺としたのが勧修寺であると伝える。
 後世、宮道弥益・列子をはじめ、藤原高藤(胤子父)・定方・胤子等勧修寺ゆかりの人々を合祀、近辺にその遺跡も有り、醍醐天皇をめぐる人々の華やかな物語や、古代山科発展の歴史を今に伝える古社である。
 高藤の後裔は、勧修寺流藤原氏として朝廷で枢要な地位を占め、また宮道氏は、武家・寺家蜷川氏としてともに繁栄、活躍した。
 本殿は明治二十三年に再建されたものであるが、この度、この由緒ある神社が後世永く栄えん事を願い、本殿覆屋・拝殿の修復と境内の整備を行ったものである。
      平成十二年五月吉日
          宮道神社崇敬会
下の文章は宮道神社に掲示されている由緒碑を再録しています。

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