吉祥院天満宮
(きっしょういんてんまんぐう)

 京都市内には菅原道真公誕生の地といわれる天満宮が三ヶ所あり、それぞれに産湯の井戸など道真公誕生を証明するものが残されています。

 吉祥院天満宮には官公の臍の緒を埋めた「胞衣塚(えなづか)」の他にも「硯の水」「鑑(かがみ)の井」など官公ゆかりの史蹟が残されています。

 吉祥院天満宮の胞衣塚には御祭神菅原道真公(845~903)がここで誕生された時のへその緒が納められていて、中心にへそを象徴した丸い石が据えられています。
 初宮詣りに訪れる人も多く、胞衣(えな)塚の前で赤ちゃんの鼻をつまみ元気な声を上げさせると健康に成長し、将来の成功にもつながるとされています。

吉祥天女社(吉祥院)

 吉祥天女はもとインドの女神で、顔かたちが美しく、人びとに福徳を与えるとされ、奈良時代から平安時代にかけては特に広く信仰されました。

 延暦23年(804年)に菅原道真公の祖父、清公卿が遣唐使として唐へ渡る途中に嵐に遭い、一緒に舟に乗っていた僧最澄とともに吉祥天女にお祈りしたところ海は鎮まりました。おかげで無事に遣唐使としての大役を果たせました。日本へ帰ってから大同3年(808)に海上で霊験を得た吉祥天を庭上に建てた小堂にお祀りしたのが吉祥天女社(吉祥院)のはじまりとされています。

 吉祥天女社(吉祥院)には、吉祥天女、菅原清公卿、菅原是善卿、伝教大師、孔子、観世音菩薩、薬師如来が祀られています。

 吉祥天女社は平成20年に大改修が行われ、きれいな建物となっています。

 北野天満宮の写真のページもご覧ください。

吉祥院天満宮の所在地
 京都市南区吉祥院政所町3番地
吉祥院天満宮へのバス
 市バス「吉祥院天満宮前」下車、徒歩数分

吉祥院天満宮の由緒

吉祥院天満宮
(きっしょういんてんまんぐう)

 祭神として菅原道真(みちざね)を祀(まつ)り、洛陽天満宮二十五社の一つに数えられている。社伝によれば、道真の祖父清公(きよきみ)が、邸内に一宇を建立し、吉祥院と名付けて菅原家の氏寺としたのが当社の起こりで、承平四年(九三四)、朱雀天皇が自ら道真の像を刻み、この地に社殿を築き道真の霊を祀ったことから、吉祥院天満宮と呼ばれるようになったと伝えられている。
 吉祥院は道真誕生の地として有名で、境内には、道真が参朝の時に顔を写したといわれる「鑑(かがみ)の井」や道真のへその緒を埋めたと伝えられる「菅公胞衣(えな)塚」など道真ゆかりの遺跡が残っている。
 また、この地は、古くから六斎念仏(ろくさいねんぶつ)が盛んに行われていた所で、今も吉祥院六斎念仏踊として継承されており、国の重要無形民族文化財に指定されている。毎年、四月二十五日の春祭と八月二十五日の夏祭には、境内の舞殿(ぶでん)でこの伝統芸能が奉納される。
             京都市
上は吉祥院天満宮に掲示されている京都市の駒札説明板(下の写真)を再録しています。