梨木神社
(なしのきじんじゃ)

 京都御苑の東側にある梨木神社は明治18年(1885)に創建された新しい神社で、幕末・維新の原動力となって活躍した三條実万(さんじょうさねつむ)、実美(さねとみ)父子をご祭神としてお祀りされています。

 春は山吹、秋は萩の花の名所として知られています。秋の訪れとともに参道の両側に植え込まれた萩の赤や白の花が咲き出します。萩は梨木神社の境内に500本ほど植えられているそうです。9月に行われる「萩まつり」の日には多くの人々が訪れて賑わいます。


 梨木神社の境内にある「染井(そめのい)の水」は京都三名水の一つの現存する唯一の名水で多くの人が汲みに訪れています。

梨木神社の主祭神
 
三條実萬(さねつむ)公
 三條実美(さねとみ)公父子
梨木神社の場所
 
京都市上京区寺町通広小路上る染殿町680
梨木神社へのバス
 市バス「府立医大病院前」下車、西へ徒歩約3分

梨木神社の由緒

梨木神社
(なしのきじんじゃ)

当社は、明治十八年(一八八五)に創建された旧別格官幣社(かんぺいしゃ)で、明治維新の功労者三條実萬(さねつむ)公・実美(さねとみ)公父子を祀(まつ)り、三條家の旧邸が、梨木(なしのき)町にあったことにちなんで名付けられた。
 実萬公は、文化九年(一八一二)以来四十七年間、光格(こうかく)、仁孝(じんこう)、孝明(こうめい)の三代の天皇に仕え、皇室の中興に尽くしたため、幕府と対立し、その圧迫により一乗寺に幽居したが、翌年の安政六年(一八五九)に逝去し、「忠成公」の諡(おくりな)号を賜った。実美公は、幕末期に尊皇攘夷運動の先頭に立ち、明治維新後は太政大臣に任ぜられたが、明治二十四年(一八九一)に逝去し、正一位(しょういちい)を贈られ、大正四年(一九一五)に父を祀る当社に合祀された。
 旧茶室は、京都御所春興殿(しゅんこうでん)(賢所(かしこどころ))の神饌殿(しんせんでん)を改装したもので、境内手水舎の井戸「染井(そめのい)」の水は京の三名水の一つとして有名である。
 また、当社は萩の名所として知られ、毎年九月の中旬から下旬に催される「萩まつり」の頃は、多くの参詣者でにぎわう。
                 京都市
上の文は梨木神社に掲げてある京都市の駒札説明板(下の写真)を再録しています。

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