わら天神(京都観光北区)

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敷地神社(わら天神

 

由 緒

わら天神(敷地神社)

 大古の昔、山背国葛野郡衣笠村(やましろのくにかざのごおりきぬがさむら)に降臨された天神地祇を北山の神様としてお祀りし、村人をお守りして下さる神様として崇拝し、信仰を集めていました。
 この村に天長八年(831年)氷室が作られました。氷室を管理運営する技人(わざびと)が雪国の加賀の国よりやってきましたが、加賀の国で代々崇敬していた「菅生石部神」の分霊を勧請(かんじょう)して、子々孫々の氏神とするために、北山の神の西隣にお祀りして、祭神を菅生石部神の御母「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」と定めました。足利三代将軍義満が応永四年(1397年)に西園寺北山殿を山荘として造ることになり、お参りするのに不便なため、二つの神社を合祀して今の地に移しました。それから600年を経た今「わら天神」は長い歴史を伝えています。
【甘酒授与】重陽の節句に甘酒を9杯にして飲むと安産するといわれています。9にちなんで毎月9日の「九ヶ月九日詣」には授乳祈祷の「あま酒」の授与があります。この日は参拝者が多く境内は人で溢れるばかりです。
【初宮詣】赤ちゃんのすこやかな成長を願っての初宮詣や満1才の誕生日をむかえての初誕生祭の参拝者も多いようです。
【綾杉明神】本殿の西側に鎮座する綾杉明神は杉の御神木の切り株が祀られています。神宮皇后がみごもったときにこの木の下で腹帯を結んで、無事に安産されたことの由縁で安産の信仰を集めています。この木は応仁の乱の兵火を免れましたが、明治29年8月の台風で倒壊してしまいました。その太い切り株にしめ縄を結び、屋根をつけて「綾杉明神」としてお祀りされています。
【祭行事】
4月第1日曜日 春季大祭
 衣笠の氏子地区に神輿の渡御があります。
10月26日 秋季大祭
 大蔵流茂山千五郎社中による奉納狂言があります。

祇園祭山鉾は京都祇園祭山鉾巡行33基写真集
33基全部の大きな写真が見られます。

「安産御守」「御腹帯」が授与されるので、安産のご神徳に授かろうと妊産婦の参拝も多いようです。「安産御守」は神饌具の稲藁(いなわら)で出来ていて、そのわらに節があれば男の赤ちゃん、節がなければ女の赤ちゃんが誕生するというめずらしい信仰が昔から伝えられており、人々の人気を集めています。

▼わら天神拝殿(上)、お礼参りのよだれ掛け(中)、正面鳥居(下)
京都観光ガイドわら天神1
京都観光ガイドわら天神2