宗旦稲荷
(そうたんいなり)

 相国寺に住んでいた狐の逸話を題材にしたお稲荷さんです。

 狐が茶人の千宗旦に姿を変えて和尚や雲水と交わっていた逸話が残っています。

 千宗旦(せんのそうたん、千利休の孫、1578~1658)

宗旦稲荷の場所
 
宗旦稲荷は相国寺の境内の法堂の東
相国寺への電車
 
地下鉄烏丸線「今出川」下車、徒歩約10分
相国寺へのバス
 
市バス「同志社前」下車、北へ徒歩約5分
相国寺の住所
京都市上京区今出川通烏丸東入ル相国寺門前町701

宗旦稲荷社の由緒

宗旦稲荷の由来

 江戸時代の初め頃、相国寺の境内に一匹の白狐が住んでいた。その狐はしばしば茶人、千宗旦(一五七八~一六五八)に姿を変え、時には雲水にまじり、坐禅を組み、また時には寺の和尚と碁を打つなどして人々の前に姿を現していた。
 宗旦になりすましたその狐は、禁書の茶人の宅へ赴いては茶を飲み菓子を食い荒らすことがたびたびあったが、ある時宗旦狐は相国寺塔頭慈照院の茶室びらきで、点前を披露していた。驚いたことにその点前は実に見事なもので、遅れてきた宗旦は、その事に感じ入ったという。これも、宗旦の人となりを伝えた逸話である。
 その伝承のある茶室、「頤神室(いしんしつ)」は現在でも慈照院に伝えられている。茶室の窓は、宗旦狐が慌てて突き破って逃げたあとを修理したので、普通のお茶室の窓より大きくなってしまったという。
 宗旦狐は豆腐屋の店先から油揚を盗み、追いかけられて井戸に落ちて死んだとも、猟師に撃たれて命を落としたとも伝えられている。化けていたずらをするだけでなく、人々に善を施し喜ばせていたという宗旦狐の死を悼み、雲水たちは祠をつくり供養した。
 それが今でもこの宗旦稲荷としてのこっている。
             相国寺
上は相国寺境内の宗旦稲荷に掲示されている駒札説明板(右下の写真)の文章をそのまま再録しています。

全国の稲荷神社の総本宮である伏見稲荷大社のページもご覧ください。