長等神社(京都近郊大津市の神社)

 

長等神社(ながらじんじゃ)

 

由 緒

長等神社(ながらじんじゃ)

 天智天皇6年(667年)に天智天皇が近江大津宮へ遷都された際に都の鎮護のため、長等山岩倉に須佐之男神をお祀りされたのが起源とされています。その後、円珍(智証大師814〜891)が貞観2年(860)に園城寺の守り神として大山昨命を合祀し、新たに建立しました。天喜2年(1054)に庶民もお詣り出来るようにと山の上から現在地に移されたのだそうです。現在の建物は慶安2年(1649年)と寛文4年(1664年)にそれぞれ増改築されたものです。朱色の堂々たる構えの楼門は明治38年(1905年)に建てられたもので大津市定文化財となっています。
 境内の左奥に樹齢300年といわれる巨大のカツラの木があり、御神木となっています。この木は大津市の保護樹木に指定されていて高さが約14メートル、幹周りが約3メートルもある大木です。
 境内社に「馬神神社」という小さなお社があり、かって馬が重要な交通手段だった頃の馬の健康の守り神だったのですが、最近は競馬の神様として、馬主や競馬ファンの参拝があると聞きます。
長等神社の主祭神 建速須佐乃男大神 大山咋大神
長等神社の鎮座地 滋賀県大津市三井寺町4−1
長等神社への歩き方
京阪電車石山坂本線三井寺駅下車、徒歩約10分
電車を降りて琵琶湖疏水に沿った道を山手に向かって歩き、突き当たりを左へ歩くと朱色の長等神社楼門に辿り着きます。琵琶湖疏水のトンネルの上を右に歩くと三尾神社、三井寺です。

長等神社楼門(ながらじんじゃろうもん)

 大津市指定文化財 建造物 一棟 大津市三井寺町
この楼門は、三間(げん)一戸(こ)、屋根入母屋造(いりもやづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の構造をもっています。技師安藤時蔵、技術員青池安太郎の設計のもとに明治三十七年五月起工され、同三十八年二月に竣工しました。
 この楼門は、比較的小型ながら、上・下の均斉が美しく、左右の広がりも適度に、また各部の曲線も美しくとられ、すぐれた姿をしています。室町時代頃の様式にのっとった秀作で、明治時代の楼門の代表作とされています。また、建築にかかわる棟札や図面などの資料もよく保存されています。昭和四十七年七月一日大津市の指定文化財となりました。
平成三年二月 大津市教育委員会
上は長等神社楼門に掲げてある大津市教育委員会の駒札説明板の文を書き写しています。

▼SITEMAP▼

長等神社写真1
▲大津市指定文化財の長等神社楼門

長等神社写真2
▲春3月の長等神社弊殿

長等神社写真3
▲春4月には紅色の枝垂桜が大きく枝を広げます。