下鴨神社河合神社

 

下鴨神社摂社 河合神社

 

由 緒

河合神社

祭神 玉依姫命 祭神は神武天皇の御母神
例祭日 十一月十五日
神徳 神武天皇とともに御母神として日本建国に貢献された内助の御功績は、日本婦人の鑑とも仰がれており、安産・育児・縁むすび・学業・延命長寿の守護神として広く知られている。
由緒 鎮座の年代は、不詳であるが神武天皇の御代から余り遠くない時代と伝えられている。「延喜式」に「鴨河合坐小社宅神社」とある。「鴨河合」とは、古代からこの神社の鎮座地を云い、「小社宅」(こそべ)は「日本書紀」に「社戸」と訓まれ、それは本宮の祭神と同系流の神々との意である。延喜元年(九〇一)十二月二十八日の官符には「河合社、是御祖、別雷両神の苗裔神也。」ともある。天安二年(八五八)名神大社に列し、寛仁元年(一〇一七)神階一一位。元暦二年(一一八五)正一位。明治一〇年(一八八七)賀茂御祖神社第一摂社に列せられた。
社殿 本宮の二十一年目ごとに行われた式年遷宮の度ごとにこの神社もすべての社殿が造替されていたが、現在の社殿は延宝七年度(一六七九)式年遷宮により造替された古殿を修理建造したもので、平安時代の書院造りの形式をよくとどめている。
河合神社と鴨長明 「ゆく河の流れはたえずしてしかももとの水にあらず」という文で始まる方丈記は多くの人に親しまれている。作者鴨長明は、本宮禰宜の家系であった。幼少より和歌にすぐれ、後鳥羽院に見だされ御和歌所の寄せ人となり、宮廷歌人として活躍したことで知られている。石川や瀬見の小川の清ければ、月も流れをたすねてぞすむ 長明
◆上は河合神社に掲げられている由緒書をそのまま再録しています。

鴨 長明

鴨長明 久寿二年(一一五五)、下鴨神社禰宜長継の次男として泉の館(現在の京都大学の北方一帯)において生れた。応保元年(一一六一)七歳のとき、下鴨神社の第六回式年遷宮が行われ、長明も神職の道につき、従五位下に叙せられた。幼少から学問に秀で、特に和歌に優れていた。安元元年(一一七五)(二十一歳)、高松女院歌合わせに和歌を献じ注目をあつめた。治承四年(一一八〇)六月、二十六歳のときには、福原へ都が遷され、宮中に奉仕する長明も新都へ赴いたが、八月、源頼朝の乱により平家は滅亡し、再び平安京へ遷都され帰洛した。正治二年(一二〇〇)四十六歳のとき、後鳥羽院から召されて院の歌会や催しに和歌を献じることになった。翌、建仁元年(一二〇一)和歌所の寄人に任せられた。また琵琶や笛、琴にもたけた演奏の記録が随所にみえる。しかし、元久元年(一二〇四)、五十歳の春、宮中の席を辞して出家し、洛北大原に隠とんする。元久二年三月、「新古今和歌集」に
石川や 瀬見の小川の 清ければ 月も流れを たずねてやすむ  をはじめ十首が採録された。「瀬見の小川」とは、この河合神社の東を今も流れる川のことである。建暦二年(一二一二)三月、「方丈記」ついで「無名抄」を著した。建保四年(一二一六)閏六月八日、六十二歳で没した。
上は河合神社に掲げられている由緒書をそのまま再録しています。

河合神社鎮座地/下鴨神社境内の瀬見の小川の西、みかげ通り沿いにあります。

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