源光庵の血天井

 丸い窓の「悟りの窓」と四角い窓の「迷いの窓」で知られた源光庵本堂の廊下の天井の各所に飛び散った血の後が見られ、中には血で染められた足の形や手の形がはっきりと確認できます。

 京都の各所に見られる血天井の中でも源光庵本堂の血天井は特に有名で、訪れた人が見上げています。

 安土桃山時代の慶長5年(1600)の関ケ原の戦いの前哨戦と言われる伏見城の戦いは、小早川秀秋らが率いる西軍と伏見城を守っていた鳥居元忠(とりいもとただ)の東軍が戦いました。

 元忠は西軍の攻撃に対し耐えていましたが、ついに力尽きて380名の一党とともに自刃しました。この時に伏見城を染めた血が今に見られる血天井です。

 伏見城は明治維新の後で壊され、残った廃材が各所に配られました。その一部が源光庵本堂の廊下に使われました。

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